2006年 07月 09日
渡辺さんトーク&本日の仕上がり |
本日は午後2時より渡辺英雄さん(渡辺鉄工社長)をお招きしてのミニトーク。(写真向かって左が渡辺さん)
渡辺さんは1960年(昭和35年)生まれ。渡辺家の後継ぎとして会社を背負うことを余儀なくされながらも、文学を通して自己の表現を確立しようと奮闘されてきた方です。
見た目からは想像もつきませんが、戦後に生まれながら家庭では戦前・戦中さながらの軍国主義教育を受けて育ち、その価値観と学校で教えられる価値観や同級生たちの考えとの強烈なずれを常に感じていたそうです。家庭では軍歌が流れ、天皇陛下万歳、お父さんからは殴られて教育され、渡辺家の跡取りとして徹底的にスパルタ教育。中学に進んで様々な友人たちとの出会いを通してそのずれを克服していったとのこと。
戦後に生まれながら、なぜか戦争を身近に感じるように思い、戦前・戦中のことも知っている気がする、という冒頭の言葉が印象的でした。
ご高齢の方の戦争体験談も貴重で拝聴に値するものでしたが、このように戦争を知らない世代で、しかしやや特別な境遇で育った渡辺さんのお話は、若い世代にも共感を呼ぶ内容であったと思います。
ちょうど2時頃から来場者も増え、フィナーレにふさわしいミニトークとなりました。ありがとうございました。
さて制作ですが、最初の貼り合わせで相当ずれた作業をした方がいて(誰とはいいませんのでだいじょうぶ)、まずはその修正。さらに左右対称にならべてさらに修正。長さが合わない、なぜか隙間があく、といった困難をみなさん互いに協力し合って克服。
本日はコクピット側面の制作。しかし全部はつくれず、片側とその半分。
明日は作業お休みですが、一部スタッフは渡辺鉄工に場所を移して、内部フレームの制作に入ります。中ハシさんは、7月10日に1日間だけ福岡入り。でもすぐにとんぼ帰りです。
渡辺さんは1960年(昭和35年)生まれ。渡辺家の後継ぎとして会社を背負うことを余儀なくされながらも、文学を通して自己の表現を確立しようと奮闘されてきた方です。
見た目からは想像もつきませんが、戦後に生まれながら家庭では戦前・戦中さながらの軍国主義教育を受けて育ち、その価値観と学校で教えられる価値観や同級生たちの考えとの強烈なずれを常に感じていたそうです。家庭では軍歌が流れ、天皇陛下万歳、お父さんからは殴られて教育され、渡辺家の跡取りとして徹底的にスパルタ教育。中学に進んで様々な友人たちとの出会いを通してそのずれを克服していったとのこと。
戦後に生まれながら、なぜか戦争を身近に感じるように思い、戦前・戦中のことも知っている気がする、という冒頭の言葉が印象的でした。
ご高齢の方の戦争体験談も貴重で拝聴に値するものでしたが、このように戦争を知らない世代で、しかしやや特別な境遇で育った渡辺さんのお話は、若い世代にも共感を呼ぶ内容であったと思います。
ちょうど2時頃から来場者も増え、フィナーレにふさわしいミニトークとなりました。ありがとうございました。
さて制作ですが、最初の貼り合わせで相当ずれた作業をした方がいて(誰とはいいませんのでだいじょうぶ)、まずはその修正。さらに左右対称にならべてさらに修正。長さが合わない、なぜか隙間があく、といった困難をみなさん互いに協力し合って克服。
本日はコクピット側面の制作。しかし全部はつくれず、片側とその半分。
明日は作業お休みですが、一部スタッフは渡辺鉄工に場所を移して、内部フレームの制作に入ります。中ハシさんは、7月10日に1日間だけ福岡入り。でもすぐにとんぼ帰りです。
by office_goncharov
| 2006-07-09 23:49